ココニイルコト(生存確認)
![]() | 僕たちの戦争 荻原 浩 (2006/08) 双葉社 この商品の詳細を見る |
今年九月に、森山未來主演でテレビドラマにもなりました。
現代のフリーター尾島健太と、大東亜戦争真っ只中の特攻隊員石庭吾一が時空を超えて入れ替わってしまうところから物語は始まります。
健太と吾一は顔から背格好までそっくりで、どちらの時代でもそれが全くの別人であることに誰も気が付きません。(唯一、健太の恋人のミナミは怪しむのだけれど…)
と、いうと一見ファンタスティックな物語のようですが。
昭和初期の特攻隊の青年の目でみた現代日本、突然特攻隊に入隊させられてしまった現代の青年――これ、戦争と、戦後の世界の様子をかなり上手く(他に言葉が見つからない…何でこんなに偉そうな言い方になってしまうのか…)描ける設定なのでは!?
すごく面白かったです。笑える、と言う意味でも。
イングランドフェア開催中のダイエーを見て、「大英帝国」と勘違いする吾一なんて、本当に可笑しかった。
国のために死ぬのが美徳で、死にに行くわが子を止める事もできず、進んで自ら死を選ばなければいけない、そんな時代が実はごく最近であったこと。
私には日本が戦争していたなんてまるで別の世界の話のように感じられるけれど、60年前からずっと地続きになって今があるのが事実。
それじゃあ60年前と今では何が違うのか。どこが私の現実世界と「別の世界」を分ける境界線なのか。
つまり、作中であれば健太と吾一が飛び越えた時空の間にあった境界線。
「誰かを守るために死ぬのか、それとも、誰かを守るために生きるのか。」
それがたった60年前を「別世界」にさせる一番の境界線のような気がします。
ここから先はちょっとネタバレになります。
「戻ってきた健太が健太だ」
最後にミナミはこう心の中でつぶやきます。
果たして最後に戻ってきたのは健太なのか、吾一なのか。
吾一だとしても、「戻ってきた健太が健太だ」という言葉や、墓誌に刻まれた没年からして、もう吾一は健太として生きて行く(しかない)だろう。
または健太が戻ってこれたとしたら。ミナミのお腹にいるのは吾一の子供なわけで…。健太もそのことにはすぐ気が付くと思う。
でも、健太はその子を自分の子として育てると思う。
というか、お腹の子は健太の子なんだと思う。
時代が違えば、自分が吾一だったかもしれない。
吾一は健太で、健太は吾一なんだな。
最後にミナミはこう心の中でつぶやきます。
果たして最後に戻ってきたのは健太なのか、吾一なのか。
吾一だとしても、「戻ってきた健太が健太だ」という言葉や、墓誌に刻まれた没年からして、もう吾一は健太として生きて行く(しかない)だろう。
または健太が戻ってこれたとしたら。ミナミのお腹にいるのは吾一の子供なわけで…。健太もそのことにはすぐ気が付くと思う。
でも、健太はその子を自分の子として育てると思う。
というか、お腹の子は健太の子なんだと思う。
時代が違えば、自分が吾一だったかもしれない。
吾一は健太で、健太は吾一なんだな。
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